深夜便から甥の声

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何気なくつけたラジオから山形県米沢市に住む甥 井上肇さんの声が聞けた。彼とは山形市の温泉旅館で会ったきり4,5年がたつ。福祉関係の仕事なのであの時もケータイにひっきりなしにかかってきていた。その時の応対もしっかり丁寧にやっているなと感じた。部下への指示らしいが都度、都度はっきり返事をしていたのを頼もしく思っていた。17年前の阪神・淡路大震災の時に友人から助けてほしいと請われて、「ボランテア米沢」を立ち上げて救援に駆けつてたという。

昨年の3・11の震災では米沢の被害は大してなかったが、隣の福島第一原発事故で避難者が500~4000人に増えその方たちを受け入れることになってまた米沢市や県、企業に呼びかけ「ボランティア山形」として活躍をしたのです。規模も大きくなりました。お話は淡々とですが内容は普通では考えられない努力が見えました。ボランテアの申し込数の方が多くなることもあったようです。

彼は「行政の長の決断力がボランテイア活動をスムースにした。山形県は災害ボランティア活動の先進県だ」と言っています。明日の朝4時にはセットして第2話を聞き漏らさぬようにしましょう。

「山形県には原子力発電所を作らなかった」が義兄の昨年来声を大にしての自慢の一つでした。その息子にして・・・と親を超えての活躍ぶりに遠くから拍手を送っています。

ほかの甥姪にも知らせましょう。二本松の甥も福祉関係の仕事で原発の避難民を受け入れて四苦八苦しているようです。今年のお彼岸にも会えませんでした。自宅へ伺ってお線香だけ挙げてきました。2人の甥は同じくらいの年齢でしょうか。働き盛り?かな。

ネモフィラを見に ひたち海浜公園

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晴れ女が集まった12日龍ヶ崎市役所8時20分集合8時半スタート。原子力科学館でちょっとお勉強して、目的地へ。ひたち海浜公園の丘を一面にブルーに染めたネモフィラは一つ一つはとても可憐な花です。450万本があるという。

原産は北米(カリホルニア)の一年草。

属名のネモフィラはギリシャ語のネモス(森)とフィレオ(愛する)の2語からなり、森林の周辺い自生することが多いところからきているという。日本には1877年に渡来しました。また可愛いらしい花色、花姿から

英名「ベイビーブルーアイス」赤ちゃんの青い瞳というそうです。

バス代2000円、海浜公園入園料はシルバー200円

帰りは震災から復興した那珂湊お魚市場でお買いもの。赤字とあさりを買ってきて母の日前夜祭の夕餉になりました。ドイツの次女から卵のキルシュが届き、長女家族が車で来て楽しいにぎやかな母の日イブでした。

私の宿題はたくさん積み残しです。明日はつくばね例会日。

龍ヶ崎の歴史を探る長寿大学

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10日(木)龍ヶ崎市の長寿大学第2回目 講座名は「龍ヶ崎を語る」鈴木久先生。

1) なぜ竜ヶ崎市に新田義貞の墓が

① 「牛になった小坊主の絵本」牛久沼由来を絵本三冊から、「食べてすぐ寝ると牛になってしまうよ」と。「食っちゃ寝の怠け者は牛」になるという教訓。新田義貞の墓がある金龍寺は曹洞宗の寺で、国指定重要文化財「絹本着色16羅漢像」をはじめ沢山の寺宝を持っている。将軍吉宗の時幕府の命により寺が報告した 元文3年(1738年)の「金龍寺由緒・什物(じゅうもつ)等書上写(かきあげうつし)」という記録書に「牛尾払子」がある。

この書物は金龍寺2代目天隠玄鎖和尚の時でそのころ、この寺は群馬県太田にあった。

②新田家の菩提寺・金龍寺  (金龍寺は我が家から1,8キロぐらい佐貫駅東口へゆく途中)

義貞は上野國新田荘(群馬県太田市とその周辺)の人ですから、確かに墓は太田市にあります。それがどうして龍ヶ崎にあるのか?  久先生はそれを面白おかしく解き明かされた。

鎌倉幕府は義貞の鎌倉急襲で滅びますが、後醍醐天皇の建武の新政では尊氏が主役で義貞はわき役に追いやられ、最後には尊氏の軍に攻められ歴王元年(1338年)7月、藤島・燈明寺畷(福井県西4キロ)の戦で、流れ矢で不慮の死を遂げる。その後義貞の子らによってておこうは続きますが、所領は新田一族でありながら、尊氏に従った岩松氏に受け継がれてしまいます。しかしその家臣になっていた義貞血筋の横瀬氏(由良氏)が下剋上で新田の名称を復活します。しかし成繁・国繁父子は北条氏と戦い金山城を攻められ、桐生城に移されました。成繁の室(夫人)妙印尼が秀吉の関東攻めに協力した軍功が認められ、天正18年(1590年)岡見氏滅亡後の牛久領7000石が息子の国繁に与えられることになりました。

したがって新田義貞を弔う寺、太田山義貞院金龍寺も群馬太田、桐生を経て牛久新地の東林寺の地に移ります。牛久市にある得月院はこの妙印尼を開山として建てられた曹洞宗の寺で金龍寺の末寺となっています。

国繁は家康・秀忠に仕え、関ケ原合戦後1600国余の加増となりますが、家督を継いだ、貞繁が若くして急死、養子(弟)の貞長はまだ将軍へのお目見えを済ませなかったため所領没収となり由良家は一旦は断絶、その所領は幕僚となりました。しかし徳川氏は武家の名門新田氏の廃絶を惜しんだのでしょう、元和9年(1623年)貞繁の子貞長に1000石を与えたので由良氏わずか1000石の旗本として幕末まで牛久・矢田部(現つくば市)にまたがる12か村を支配しました。梶内(つくば市)には新田神社が建ち、一方1万17石の大名山口氏が城中村に陣屋を置き、通称「牛久藩」が支配することになり金龍寺も寛文6年(1666年)若柴(龍ヶ崎市)に移ることになります。

太田市の金龍寺には新田家累代の9基の五輪塔が保存されて、義貞だけの墓も別にありますが、本堂には義貞の木造が安置されているだけで、新田家の菩提所は寺宝とともに竜ヶ崎市に移されたと案内板に書いてあります。

2 女化という不思議な地名 龍ヶ崎市か牛久市か?

1)狐の恩返し

3 木村やのあんパン 発祥の地は龍ヶ崎市か牛久市か

等面白おかしく話されました。餡パンの臍の由来など、折があったらお話したいと思います。

常陽芸文の月刊「芸文」にも詳しいのでご存知の方は多いと思います。

講演お終わるころから外は荒れてきました。雷がとどろき一部に雹が降り、ちぎれた木々が道路をふさぎました。私は図書館によって新聞をちらちら眺めて帰りました。

NHK学苑の原稿をメールで送りました。これから津山番傘への原稿を書きはじめます。

慶紀逸250年記念講演句会 谷中にて

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台東区谷中・龍泉寺の過去帳に、250年前に亡くなった、川柳の奔りの書「誹諧武玉川」の編者慶紀逸とあるという。なんとなく日本文化の紙のありがたさ、墨の確かさがうれしくさせた。そして14字詩の世界を覗きたくなり、お誘いにすぐ乗って実行委員として参加した。

 

日暮里駅から矢印通りに龍泉寺に向かっていたら、Y・SさんとH・Yさんと合流した。お寺には受け準備がされ、法要ができるように本堂には塔婆や献上句が並べられていた。私はご接待役。大野風柳会長が一番にお見えになった。菱木誠番傘編集長、久保田半蔵門日川協副理事長、講演の加藤定彦先生・・・選者が次々お見えになった。11時きっちりに法要は始まり、住職さんによる笙が鳴り出して、お導師さんの入場を合掌をして待つ。感激のお話は、宝暦12年5月8日、慶紀逸の供養がなされていたこと。住職さんからはっきりお聞きすると感慨深いものがある。

 

 

つくばね番傘とセンマガ茨城で塔婆を奉げた。

昼食はたんぴょう亭にて。実行委員長の保坂三蔵氏、大野風柳日川協会長とご一緒した。

午後の講演、加藤定彦立教大名誉教授の「俳諧史から見た紀逸」は楽しかった。

 

尾藤三柳氏は「川柳と紀逸」「誹風柳多留」と「誹諧武玉川」の関係を似ているところから入られた。解りやすい意義のあるお話だった。

来月には会報が発行されるそうで、お楽しみに。

竜巻お見舞いへ感謝

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5月6日お昼過ぎ発生した竜巻はつくば山のふもとの町、つくば市北条地区を中心に大被害をもたらした。住宅や商店街など827棟が全半壊した。翌日7日は新聞休刊日なのでテレビだけが詳しく報道していた。

竜巻というのはほんの一瞬交通事故みたいなものか風が大きな力となる。全壊した家屋の下敷きとなって筑波東中学校の3年生の死亡は悲しく伝えられた。

雇用促進住宅として建てられた2棟の5階建てアパートには福島原発事故で住めない地区広野町から避難してきた方々が入居していた。

津波に追われ、竜巻に追われ、二度あることは三度はいただけませんと代表の方がインタビューに語っていた。ほんとにお気の毒、原発事故は人災なのでこれからは幸せが来ますように・・・。

竜巻はアメリカやカナダの広い地域でおこるものと思っていましたら、龍ヶ崎でも小さな竜巻は三年ぐらい前にありました。その記憶からか竜巻というと龍ヶ崎かなと思ってしまいがちです。

皆さんからのお見舞いの電話やメールありがとうございました。この欄へのお問い合わせもあってお心遣いに感謝です。

今回の竜巻はつくば市でも北部にあたり、竜ヶ崎市からは二五キロから三〇キロの距離でしょうか。

関東平野は広いのですね、平過ぎなのですね。山は筑波山だけですから・・・。東北の盆地育ちの私はすこし落ち着かないので林のそばに家を立てました。樹の中に入るとホッとします。

竜巻も落雷もありませんように。

今日は「武玉川」編者慶紀逸を供養顕彰の講演句会です。八時には家を出ます。

「番傘」本誌5月号落手

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番傘5月号第101巻5月号「あれから」の最下段に6行

4月15日の故今川乱魚三回忌に寄せて新葉館出版から2冊の本が出た。『ユーモア川柳乱魚セレクション』(太田紀伊子編)と『ユーモア川柳の作り方と楽しみ方』(今川乱魚著)。お求めは同社へ。というだけのもの。それなのに・・・

この記事に第一番にO Yさんからお電話照会あり。受話器の子機が混乱していて、こちらからお電話。さっそくお送りをした。

この二つの本新葉館出版「センマガ」5月号では広告が表紙裏3ページ目にはある。『ユーモア川柳乱魚セレクション』(太田紀伊子編)が3分の一程度。後から出た(5月1日着)「番傘」の最終頁まで読まれたO Y さんに 感謝。

日立のS Kさんからは「運平堂」の懐かしい和菓子を送っていただいた。餡がおいしい。3日、4日は贅沢なティータイムばかり取ってしまった。片づけと原稿依頼3通ありなのに。

5日は鹿行川柳同好会でーす。往復120キロの車旅です。

皐月の空には遠く・・・

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大震災の復興元年も早や5月に入りました。大ゴールデンウィークも半ば高速バスの事故が無残です。

無免許で10時間夜通し車を飛ばして小学生の列をなぎ倒した18歳。何とも言葉がありません。常識や交通ルールを飛び越しています。プロの運転手も10時間夜中の運転はしません。覚せい剤でも使っていたのでしょうか。居眠りは出るのが当然です。被害に遭った方々特に小中生、高校生、大学生、妊産婦さんは惨いです。謹んでご冥福を祈るのみです。

日本中が皐月の空になってほしい。

4月29日はつくば牡丹川柳会の16回大会でした。思えば私が竜ヶ崎に転居して、つくばね川柳会を創設して8年後初めて県からの依頼で茎崎町(現つくば市)に講師をして出来たくきざき川柳会が前身です。

のちにつくば牡丹川柳会と名称変更がありました。そこが16年です。現会長は片野晃一氏。今年は私も出席しました。まったくの遊びで楽しい会でした。主催者でもなく一参加者として出る気楽さを味わいました。つくばねは今年で23年早いものです。

それから県南は雪柳会、牛久、取手、999、県東に神栖川柳会、鹿行川柳会、潮来会など私の講座から生まれた会が増えてきました。日川協に加入して県には入っていない会両方に加入して居る会などそれぞれ様々です。私がかかわってできた会が合計9吟社になりました。センマガ茨城をプラスすればちょうど10吟社の集いです。そろそろ一堂に会する機会も必要かと思います。

秋には竜ヶ崎市文化協会のご協力で市民川柳会として集まっていただこうと企画中です。ご協力よろしくお願いいたします。

すこしは皐月の風が吹いてきそうです。

つくばねHPが少し変わりました

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表紙が変わりました。過去の表紙絵のコーナーもできました。

交流欄をどうぞご利用してください。http://senryu-tsukubane.net

句会案内が入っていなかったので以下です

句会場は今月も牛久生涯学習センター会議室です。

5月13日(日)1時

宿題 「札束」 小原 正路選 

    「絆」成島静枝選 及川竜太郎選  

    「馬耳東風」山本由宇呆選

    「レトロ」 太田紀伊子選

   

芸文学苑も母を歌う

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和の文芸にふさわしい少人数になってきたので、皆さん楽しくやりましょうと独りづつスピーチ。

川柳論あり、嫁姑論、介護論、ご近所付き合い、夫婦、一人暮らし、すべて川柳につながります。

それらから即吟の勉強。

即吟を取り入れ第一回作品 3分間の苦吟の作

三分間吟 「母」 佐瀬 貴子 選  

中心に母のいる日の睦まじき      太田紀伊子

母さんの味に近づくよもぎ餅      窪田 浩子

母の姿見えなくなると泣くやんちゃ   阿久津恵子

母になり母の苦労を理解する      奥住 雅代

褒め上手母がいたらとよく思う     君島タケミ

母の味娘に伝え我も母         君島タケミ

母がいて今の私が生かされて      大森みち子

母になり生き方子等に教えられ     奥住 雅代

食道楽母の料理の手際よさ       大森みち子

母なれば時に鬼にも蛇にもなる     君島タケミ

亡くなって母の想いがよみがえる    大森みち子

飽きもせずご飯を炊いて掃除して    太田紀伊子

「人」

母の年越して文化の有難さ       太田紀伊子

「地」

子を持ってその幸せをかみしめる    奥住 雅代

「天」

手の皺に母の糠漬けしみていた     窪田 浩子

「軸」

もう一度逢いたい人に母がいる     佐瀬 貴子

佐瀬さんは入院中の仲間のお見舞いに。麗子さんはうちのリホームでお休み。たかしさんは体調不良。

次回までにはみなさん風邪をひかず、転ばずにお元気でお会いしましょう。

藝文学苑川柳講座(講師太田紀伊子)第2回目 二〇一二年四月二五日より

メールも失敗したようなのでブログに掲載させていただきました。

今日は茨城県川柳教会理事会  16時より レイクサイド(牛久沼のほとり)

29日は同館にてつくば牡丹川柳大会。賞品はボタンです。まだ今年は花が咲きませんが苗はしっかりしています。11時締切 2時披講の予定。 晴れますように・・・

ユーモア川柳乱魚セレクションへ

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4月15日が三回忌の今川乱魚師に捧げる句文集「ユーモア川柳乱魚セレクション」を、243名の方へお贈りしたりお買い上げいただいた。

はがきに温かい感想を述べられた方、住所変更だけの方様々ですが、「今川乱魚師に出会ったよう」というのが一番多いのには感動しました。

次々にお礼状とともに、いろいろな品々を頂戴をした。同じ日に羊羹とお煎茶が千葉と高萩から。甘いお菓子は熊本から。いただいた順序に、ここに書き記して残していきたいと思う。時間がありましたらのことですが。

 

S・Zさんの珠玉編から

私は川柳って? と聞かれたときに「人間の喜怒哀楽を詠めるのが川柳」と答えるようにしているのですが、乱魚さんの『喜怒哀楽』は重い。心奥に響きます。この頃、着飾った言葉で詠む風潮になりつつあるのではないでしょうか?  すばらしい語句もいいけど、もっと体内のように一句に血が欲しい、涙が欲しい、情が欲しい,無情が欲しい・・・などなどと、大会会場での披講を聞きながら思うことしきりだったので、私の中の川柳の有り様を見つめなおせる、幸せな三晩でした。

「採決採尿涙は誰も採りに来ぬ」 壮絶です。私も最後まで読むうちに涙が出る。涙声になる。

紀伊子さん良いことをなされました。乱魚さんの喜ばれている顔が浮かびます。

ここまで書いてきたら、私も涙が出てきてパソコンが打てなくなりました。今日はこれまで・・・

 


写真はホーミーのコンサート。やよいさんからのお知らせです。